うぃろぅ.log

140字で綴りきれない日々の徒然備忘録

一夜明けて

うぃろぅです。
何かを書かずにはいられない気分なので書きます。
推敲はせず、起承転結も意識しません。

昨日はあえて情報を入れないようにしていた。

人の命は平等、それはそうかもしれない。だが、人が生み出すものの価値は平等ではないのだ。
私や私の友人が共有できる、その未来の可能性の一部が焼却されてしまった。

アニメではなくドラマでもいい。演劇でもいい。もちろん映画でも、音楽でもいい。
誰かが生み出したものを私は享受し、そこから何かを得ている。
人が情熱をかけて生み出したものは、私の何かを変えるのだ。

高校の時は、「昨日のドラマ観た?」と同じノリで「昨日のけいおん観た?」という会話をしていた。
けいおんOP曲の歌詞がなんと言っているかを議論して、歌いながら外周走をした。
体育祭の余興でハレ晴レダンスを踊り、放課後にらき☆すたを観ながら工芸の提出物を作った。
物理のレポートを書きながらCLANNADの話をして、AFTER STORYの終盤では放送の次の日に体調不良で休んだ友人を笑った。休んだ友人は真っ赤な目をしていた。
浪人中、友人にシュタゲを薦められるまま観て、その息抜きに日常を観た。予備校では焼きサバと囲碁サッカー部の話で盛り上がった。
氷菓の原作を買い、そこから派生してインシテミルも読んだ。ChouChoさんは誕生日が同じ日で、勝手に親近感を覚えている。

こんなことばかり思い出していた。京アニの作品は私の人生に寄り添っていた。
私の人生に影響を与える作品を生み出した人たちが失われてしまったのだ。
今はただ、虚無感を抱えている。

私の通っていた高校は関東にあり、修学旅行先は海外や沖縄ではなく京都である。
「夕食の時間までに帰ってくればUSJ以外ならどこに行ってもいい」というルールのもと、各班は自由に行動計画を立てられた。
大阪に食い倒れに行った班があった。新幹線で広島に遊びに行った班があった。明石海峡大橋を渡って四国に行った班があった。

私の班は京都アニメーションの第一スタジオにアポを取り、職場見学をさせてもらった。

礼儀作法もなっていなかったであろう高校生の私たちに職員のかたは丁寧に対応してくださり、「他言無用」としてペン入れの様子を見せてくださった。「涼宮ハルヒの消失」だった。
応接室で質問を受けてくださり、ここでは書けないような内容から些細な内容まで、社内機密に当たらない質問には全て答えてくださった。

「どこかの会社の知らない人が亡くなった」では、ないのだ。
あの時に会話してくれた人たちが、昨日のあの場所に、いたかもしれないのだ。
悲しいや悔しいではなく、ただただ何もない。

この前のセールでPS4GOD OF WARを購入し、エンディングまで進めた。
主人公のクレイトスが息子のアトレウスとともに亡くなった妻を弔うための旅をする、という物語だ。
クレイトスは不器用な父親で、アトレウスに「母上が死んで悲しんでいるように見えない」と言われてしまう。
クレイトスはアキレウスに「生意気な口をきくな」と怒鳴り、叱咤するのだ。

「大声で嘆くだけが弔いだと思うな」
「私には私の弔い方がある」

今回の件に関してブログに書くのはこれが最初で最後とする。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの円盤を買おう。放送から10周年を迎えたけいおんへの愛を大いに語ろう。こなたのことを思い出しながらカラオケで木枯らしに抱かれてを歌おう。
元バイト先の仲間たちに「I'm proud歌って」と言われることがある。「メガネから声が出ている」と言われる。らき☆すたのEDで知ったこの曲をこれからも歌おう。
京アニの作品とともに、これまでとこれからを楽しく過ごそう。

私の弔い方をしよう。

ではまた。