うぃろぅ.log

140字で綴りきれない日々の徒然備忘録

読解力を求められない生活

うぃろぅです。
仕事が割と立て込んできたのでどうせならもうちょっとタスクを増やそう、ということで何か書きます(支離滅裂)。
書き終わった後で眺めたら内容も支離滅裂でした。眠かったのでしょう。
なので以下はただのメモ書きと化しています。ごめんて。

以下常体。

読解力云々

今の現場は移動時間が長いため、ちょっと残業しただけでも帰宅したら22時過ぎ、みたいなことがざらにある。
そうなってくると帰宅してからできることが限られてくるわけで、夕食を食べながらニュースを見ていたら一日が終わった、なんて日も多くなってくる。
そんなある日のニュースで気になったのが以下の話題。

www.sankei.com

ざっくり要約すると

  • 世界ランキングで見て日本の高校生の読解力が低下している
  • 受験する媒体であるPCの操作に慣れていないことが原因かも
  • 読書習慣のある人が減った事が原因かも

ってな感じ。
私自身としては読解力はそれなりにある方だと思って(思い込んで)いるため、このことについて考えてみる。

読解力が必要な場面

読解力についての説明は必要ないだろう。して、この読解力が必要となる場面だが、仕事をする上では非常にたくさんあるように感じている。

例えば社内メール。
だいぶ改変してはいるが話の流れとしてはノンフィクションでお届け。
Aさんは上司。

件名: 研修について

お疲れ様。Aです。
本社から研修への参加を打診されています。

日程は以下。

東京支店 12/10 13:30 - 17:30 千葉支店 12/12 13:30 - 17:30

極力参加する方向で考えて欲しい、ときているのだけれど調整できる?

こんなメールが届いたとして、研修の内容が自分に合致していないので欠席したいとします。
私の返信は以下。

件名: Re: 研修について

お疲れ様です。うぃろぅです。
以下の日程であれば調整が可能です。

千葉支店 12/12 13:30 - 17:30

ただし、現在のプロジェクトの状況によっては直前で不参加となる可能性があります。

以上、よろしくお願いいたします。

読解力のつかいどころさん

要は「参加したくないです」ということを言っているのだが、「極力参加する方向で」と言われているため、「参加する意思はあるがもしかしたら参加できないかもしれない」、と表現するわけである。
私の会社の体質が古いからこういうもったいぶった表現をしなければならないという意見には全面的に同意。

私の返信に対する返信が以下。

件名: Re: Re: 研修について

お疲れ様。Aです。

千葉支店での研修が調整できると言う事なので当日はよろしく。
※ 業務都合・体調不良での欠席は意図せず起こり得るという前提で。

当日の会場は研修室、人数は数十人程度とのこと。

持ち物としては筆記用具は念のために持っていったほうが良さそう。

読解力のつかいどころさん

要は「欠席ね、了解」みたいなニュアンス。暗号かよ。

まぁこんなやりとりを日常的にすれば読解力(と言うのが適切かどうかわからない)は磨かれていくわけである。ちなみに私の会社にSlackなんて概念はない。
セキュリティって言葉がとても強い。リースしているPCにはWi-fi機能がついていないからね。

閑話休題
上で挙げた例から、私個人としては「行間を読む力」が「読解力」と結びついている、と考えている。「空気を読む力」の文章版。
相手の言いたい事を文面から察する事ができるか、というのが読解力だと思う。

読解力が必要ない場面

上記の例は古い体質の会社だからよくあるのであって、最近はもっと会話がカジュアルである。

そもそも友人に連絡するのもメールからLINEに変わっている時点でカジュアルになっているのだ。説明が足りなかったらそのままLINE通話なり何なりで認識をあわせれば良い。電話代に怯える日なんてものはもうやってこないのである。

読書をしたら読解力が上がる、とはよく言われる。「読み解く」のだからそれはそうなのだろう。しかし今は本以外の娯楽があまりにも多い。
ソシャゲをやっていて読解力が必要になる場面は非常に少ないのである。※ Fateは文学なのでFGOは除く。

PCに慣れていない、というのもスマホで事足りるからである。つまりはスマホの発達が日本人から読解力を奪った、とも言えてしまうわけだ。

丁寧な社会になった

娯楽にも読解力がいらなくなっていく。「笑えるコピペ」を調べていた時代は終わり、Youtuberが解説してくれるようになった。受動的に楽しめるものが増えた。
ゲームに紙の説明書は付属しなくなり、チュートリアルが非常に丁寧になった。
読解力がなくても楽しめるように社会が変化していっているのである。

さて、そんな社会で「読解力が低下している!!由々しき事態だ!!」と叫ばれたところで何か困るのだろうか。
恐らく困る事は少ない。水が低いところに流れていくように読解力が高くないところに社会が変化してきているからである。

何が言いたかったか

自分でもオチがわからなくなってしまった。
「読解力低下」が問題なのか、「読解力が必要ない社会」が問題なのか、みたいなことなのかなぁ。
私はラノベの民でありノベルゲーム黄金期を楽しんできたから一定の読解力があるが、これからの時代は読解力が求められなくなりつつあるのではなかろうか。
だからといってクソリプを投げていいわけではないが。
クソリプをする前に「ちょっと主張したい事がわからなかったんですけどこういう解釈であってますか」から始めてみたらどうでしょうか。

え、この記事の主張がわからなかった?安心して欲しい、私も何を主張したかったのかがわからなかった。

ではまた。